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国東半島峯道ロングトレイル

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ホームページのリニューアルに伴いブログを開設することにしました。
ここでは国東半島の魅力を紹介して行きたいと思います。
まずは国東半島峯道ロングトレイルについてです。
これは僧侶が修行のため行う六郷満山峯入行を一般の人用に設定したコースです。以前から話には聞いていましたが、灯台下暗しで、なかなか体験できませんでした。
この度、数名の仲間と念願の第一歩を踏み出しました。まずは住まいから一番近い国東コース①(K-1)(別図参照…インターネットで「国東半島峯道ロングトレイル」から地図など詳しい情報を得ることができます)を、第1回目とのことで、“尻付岩屋”から西方寺を経て霊仙寺に至るK-1の1/2の行程を踏破することとしました。
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上記行程の左側拡大図
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平成31年3月31日、やや風は強いが天気に恵まれ、9時半過ぎ、千燈寺近くの駐車場を出発、“尻付岩屋”を経て“大不動岩屋”に到着。ここはホームページの見出しに掲載している場所で(モデルは次女)、日本とは思えないような奇岩がそそり立っている、絶景のところです(写真①)。
小休止して“阿弥陀越”目指してさらに登る。“阿弥陀越”は岩場で、眺め良好(写真②、③)。下り道にやや迷いながら、大藤岩屋の壊れかけた阿弥陀堂を見ながら、直下の急な坂を鎖を伝いながら下る。林を抜けて、西方寺の里に到着。すみれの花、あざみの花(3月に咲く?)が出迎えてくれた(写真④、⑤)。到着地点は西方寺集落の一番山際にあたり(写真⑥)、すぐまた林に入る(写真⑦)。林の中に陽の光を浴びて輝く「みつまた」の群生に出会う(写真⑧)。少し登ると、「みつまた」の第4群生地を横切る(写真⑨)。「みつまた」の花はすでに盛りを過ぎて色褪せていたが、“後野越”へと登る道に沿って続く花の帯はみごとでした。途中、やぶ椿を見ながら(写真⑪)、割石を通り抜けて(写真⑫)岩が背骨のようになっている“後野越”を越える。下り坂を下って、奇岩の見事な夷谷に到着。桜が満開でした(写真⑬)。休憩時間を含め5Km、約3時間の行程でした。
変化に富んだルートで、我が町にこのようなすばらしい場所があるとは、この年になって初めての体験で感激ひとしおでした。


写真① 大不動岩屋よりの眺め
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写真② 阿弥陀越から登ってきた大不動岩屋を望む
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写真③-1 阿弥陀越から鷲の巣岳を見上げる
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写真③-2 自宅からみた鷲の巣岳
(稜線の先、こぶ状に突き出したところ。↓)
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写真④ すみれの花
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写真⑤ あざみの花
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写真⑥ 山際の西方寺集落。背後に岩山の連なりが見える
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写真⑦ 林に入る前に左手に大不動岩屋で見たのと同じようなそそり立った奇岩が見えた
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写真⑧ 陽光に輝く「みつまた」の群生
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写真⑨ 第4群生地の「みつまた」
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写真⑩-1 盛りの頃の「みつまた」の花。芳香あり。
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写真⑩-2 第5群生地の「みつまた」。 西方寺は最近、「みつまた」の花で売り出しています。
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写真⑪ やぶ椿
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写真⑫ 割石と孫
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写真⑬ 夷谷に勢ぞろいした参加メンバー
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国東半島峯道ロングトレイル(第2回)

今回は国東半島峯道ロングトレイル紀行第2弾です。
国東コース①(K-1)の残り半分を踏破することにした。出発場所は同じで、前回とは逆の方向に行くことになる。
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平成31年4月7日、天気に恵まれ、午前9時過ぎ、出発地の千燈寺前駐車場を出発、旧千燈寺跡へ向かう。出発地の周囲はすでに一面のれんげ畑(写真①)。石塔、石像などが並んでいる“西行返し”を過ぎて(写真②)、石門をくぐると旧千燈寺跡に到着する。ここは何度か訪れたことのある場所である。
旧千燈寺は奈良時代の西暦718年に、六郷満山の中で最初に創建された寺院で、16の末寺を有する中核寺院として栄え、 “西の高野山”と呼ばれていたが、天正年間にキリシタン大名の大友宗麟による焼き討ちにあい、廃寺となった。
今は、坊のあった石垣と石畳が残っているだけ。本堂(伽藍堂)跡に今も当時のまま残っている仁王像の横に孫2人を立たせ記念撮影(写真③)。かっての建物の配置図を見ながら、昔の栄華をしのぶ。さらに坂を登ると杉林となり、急な石段の先に岩窟の中に建てられた“奥の院”が見えた(写真④)。左手を進むと眺望の良い場所があるとの案内板があったので、狭い道を進むとすぐに眺望の開けた岩場に出た。180度以上の大パノラマが広がっていた。左手の方角には千燈岳とそのすそ野に広がる幾つもの岩の峯が見えた。右手方向には鷲巣岳が見え、少し汗ばんだ頬に谷から吹いてくる風が心地よい。絶景ポイントです(写真⑤、⑥).
ここから少し行くと無数の石塔(九九九基と言い伝えられている)が集まっている“五輪塔群”が現れる(写真⑦)。旧千燈寺を創建したといわれる仁聞菩薩の墓もここにある。
さらに登って不動山に至る。不動山はそれ自体が一つの岩山で、東に面して岩窟があり、そこに半分埋め込まれたように“五辻不動”が建てられている。ここに行くには狭い岩場を鎖につかまりながら登る必要がある(写真⑧)。ここからの眺望は絶景で、眼下に国東半島、瀬戸内海に浮かぶ姫島が手に取るように見える。天気が良く、澄み渡っているときには四国佐多岬、山口県が見えることがある。
不動山は300mほどの高さで、岩戸寺に向けて一旦急な坂道を下らねばならない。山道は登りより下りが危険である。綱につかまって上り下りするようになっていたが、私は綱を離した途端に転倒してしまった。幸い大事には至らなかったが、岩の突き出た斜面だったのでひやりとした。下りを降りきったところで小休止し、腹ごしらえをした。実は後で判明したことであるが、この下りの途中で娘が足を負傷し、長期離脱を余儀なくされることになるのであるが、この時は知る由もなかった。
再度山を登り、下ったところが今回の目的地の岩戸寺であった。岩戸寺は桜がすでに散り始めており、花桃が満開で最も美しい花盛りの時期であった(写真⑨、⑩)。長い石段を登り最古と言われる国東塔、修正鬼会の行われる藁ぶき屋根の講堂、子安観音のある岩の橋渡しなどを見てきました(写真⑪)。
という訳で、このシリーズも一旦中止、秋深まる頃から再開予定です。


写真①  すでにれんげの花が
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写真②  “西行返し”と呼ばれている場所
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写真③  仁王像と孫
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写真④  杉林の奥に奥の院が
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写真⑤  千燈岳とすそ野に広がる岩の峯群
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写真⑥  鷲巣岳とふもとの大不動岩屋
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写真⑦  無数の石塔が集まっている“五輪塔群”
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写真⑧  岩場を登り切ったところにある一対の石灯篭
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写真⑨  仁王像と桜を背景に
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写真⑩  桜と花桃で花盛りの岩戸寺
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写真⑪  岩の橋渡しの下にある子安観音
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国東半島峯道ロングトレイル(第3回)

今回は国東半島峯道ロングトレイル紀行3回目。
豊後高田コース④(T-4)の前半(霊仙寺~猪群山臼野登山口)です。
国東半島RT_T-4拡大前半

令和元年12月8日、薄日の射すまずまずの天気。もう少し早い紅葉の時期、11月中旬頃を予定していたが諸事情で都合がつかず、師走の季節となってしまった。風は無く、暖冬のせいかさほど寒さは感じない。
霊仙寺から少し離れた夷耶馬農村公園に車を止め、坂道を登り始める。登り詰めたところが中山仙境周遊コースとの交差点(登山道合流点)で、T-4コースはこのまま下るのだが、中山仙境コースを少し体験しようということになり、左に折れて無明橋に向かって進む。夷谷を挟んで対岸はおびただしい数の岩峯が突き出ているのが見える(写真①)。少し行くと左側は下が見えないほどの断崖絶壁が続き、右にも断崖が現れ、その間に狭い通路しかなく、それを過ぎると目の前に鎖のついた崖が現れる(写真②)。子供連れでもあり、残念ながら今回は先に進むのを断念し、無明橋に行き着く前に引き返す。
登山道合流点から下って行くと、民家のある舗装道路にでる。ここからまた山道に入る。クヌギの落ち葉が敷き詰めた長い山道が続く(写真③)。山道を抜け、昼食をとる(写真④)。近くに野路菊が咲いていた(写真⑤)。道端にすでにすみれの花も(写真⑥)。舗装した道をだらだらと下って、途中、右手にため池を見ながら、猪群山臼野登山口近くまでで今回の日程は終了。中山仙境方面への寄り道がなければ、約4Km、3時間の行程だった。


写真① 夷谷対岸の岩峯群
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写真② 崖の鎖にとりついた孫
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写真③ クヌギの落ち葉を敷き詰めた山道を行く
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写真④ 今回の参加者は4名
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写真⑤ 野路菊の花
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写真⑥ 早くもすみれの花が
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国東半島峯道ロングトレイル(第4回)

国東半島峯道ロングトレイル紀行4回目。
豊後高田コース④(T-4)の後半(猪群山臼野登山口~真玉温泉 スパランド真玉)です。
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<コース拡大>
bg4_T-4後半②

令和2年1月19日、前日はかなり雨が降り心配したが、雨も止んで薄曇りの天気。猪群山臼野登山口に到着するのに近道をしたつもりが道を間違え、25分遅れの9時25分出発。今回は施設から2名のスタッフが参加した。
登山口には案内表示があるが(写真①)、反対方向から降りてくる登山者向けに立てているので登る者にはわかりずらい。坂道を登っていくと、行く手をふさぐように石門が倒れているのが見えた(写真②)。少し行くと文殊仙寺などに比べると小振りの一対の仁王像が出迎えてくれた(写真③-1)。石段を登る(写真③-2)。社はないが、小さなお神楽の舞台などがある境内にでる。飯牟礼神社上宮であった(写真④)。少し登った舗装道路に面して石の鳥居があった(写真⑤)。
猪群山山頂目指してひたすら上る。狩猟の鉄砲の音がやや近く、頻回に聞こえた。山頂に近づくにつれ傾斜がきつくなり、ばてる者が出てきた。大きな岩が目立ってくると(写真⑥)、猪群山(標高458m)山頂だ。この辺りでは最も高い山だが、木々に覆われて見通しが良くない。1ヶ所だけ開けていて、ここから豊後高田市の干拓地を越えて、遠く中津方面まで見渡せた(写真⑦)。
小休止して腹ごしらえした後、ストーンサークルへ向かう。やや下ってまた少し登ると巨石群が林立しているのが見えてきた(写真⑧)。“陰陽石”と呼ばれる一対の巨石(写真⑨)を抜けると、樹木のない開けた山頂に出る。
ストーンサークルは50ケ余りの大小の列石群から成っており、一番大きな石は高さ4.4mのご神体石である(写真⑩)。ここからの眺めは素晴らしく、東の方角には鷲ノ巣が見下ろせ、その稜線の上に姫島が浮かんでいた(写真⑪)。また、南の方角には遥か、頭に雲を戴いた鶴見、由布の山々が見えた(写真⑫)。絶景に大いに満足して、登りのきつさも一気に解消した。
猪群山山頂に戻り、下山を開始する。下りも急勾配である。中腹くらいで大きな岩に出くわす。 “立石”と呼ばれている岩だ(写真⑬)。高さ10mあるとのこと。娘がその岩の側面に巨大なスズメバチの巣がぶら下がっているのを見つけた(写真⑭)。蜂は居ず、冬で良かったねと話し合う。さらに下って里近く、すでに椿の落花あり(写真⑮)。また杉林の中にミツマタの群生が緑色の蕾を付けていた(写真⑯)。
山神社近くのため池のそばでトラックに乗った男性に会った。聞けば、飯牟礼神社の総代を何度か務めたことがあるとのこと。小さなお神楽の舞台は築40年くらいになるが、お神楽は1回しか舞われていないなど。倒れていた石門は修復しないのかと聞いたところ、金銭的に余裕がないとのことだった。ここからは県道654号まではすぐで、目的地のスパランド真玉到着は午後2時近くであった(写真⑰)。

写真① 登山口の標識
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写真② 倒れて苔むした石門
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写真③ 孫と仁王像と本殿へと続く石段
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写真④ 飯牟礼神社上宮
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写真⑤ 石作りの鳥居
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写真⑥ 猪群山山頂近く
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写真⑦ 猪群山山頂からの眺め
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写真⑧ ストーンサークルの巨石群
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写真⑨ 陰陽石
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写真⑩ 孫とご神体石
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写真⑪ 鷲ノ巣と姫島が眼下に
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写真⑫ 遥かに鶴見、由布の山々を望む(山頂は雲に隠れて見えにくい)
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写真⑬ 立石
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写真⑭ 立石の側面にぶら下がっている巨大なスズメバチの巣
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写真⑮ 落花した椿の花
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写真⑯ 蕾を付けたミツマタ
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写真⑰ スパランド真玉集合写真
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国東半島峯道ロングトレイル(第5回)

国東半島峯道ロングトレイル紀行5回目。
国東コース②(K-2)の前半(岩戸寺~文殊仙寺のうち、葛原集落跡、ゴロタ平、三十仏などを通るコース)です。
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<コース拡大>
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令和2年2月23日、天気晴朗なれど風強し。9時過ぎに岩戸寺から県道に下った「ガイデ橋」からスタート。スタート地点では木々の枝に“めじろ”が飛び交っていた。今回は常連の2名は都合で欠席、その代わり施設から3名のスタッフが参加した。参加者は計7名である。
山口池を左手に見ながら県道を登って行く。「岩戸の滝」(写真①)で古老に出会う。古老はこの滝の近くで起きた姫君の悲しい最後について話してくれた。少し登ると「宇都宮氏家臣鬼木氏古戦場」の標識あり(写真②)。黒田官兵衛・長政と鬼木氏の戦については、国見町赤根の“渓泉”に解説が貼られている(写真③)。宇都宮氏は黒田にだまし討ちにされ、家臣ともども皆殺しにされたが、鬼木氏はこの地に落ち延びていた。それを、黒田官兵衛が大友氏との別府・石垣原での合戦の途上、わざわざこの地に討伐に来て、13名が討ち死にしたという。先ほどの姫君もその一人とのこと。すぐそばの岩壁に観音像が彫られている(写真④)。葛原に落ち延びた葛原時房が建立したと言い伝えられる(渓泉の解説)。古老の話から、420年前の出来事をよく言い伝えているものだと感心した。「如水橋」など近くの橋に戦いに参加した人物名が命名されていた。ここを過ぎて振り返ると「岩戸耶馬」が見えた(写真⑤)。
来浦川源流は岩の間から水が湧き出しているところで、そのすぐ脇から岩戸寺周遊コースに入る。道らしき道はなく、木に巻き付けてある印のみを目印に林の中を登って行く。しばらく行くと手彫りのトンネルに出くわす(写真⑥)。20~30分くらい登っただろうか、石でできた井戸を見つける(写真⑦)。多数の墓も。可愛い仁王像と石門のある墓もあった(写真⑧)。ここが葛原集落跡だった。標高は380m。昭和30年頃まで人が住んでいたという。先ほど述べた葛原時房の子孫が住んでいたのだろうか。ここは尾根のようになっていて、ここから下りになる。
すぐに「金毘羅の景」の標識。進んでいくと石柱の立っている絶景ポイントにでる(写真⑨)。ここからは来浦の谷を越えて周防灘に浮かぶ姫島(写真⑩)と眼下に広がる無数の奇岩の列を見ることができた(写真⑪-1、11-2)。また、ゴロタ平に続くと思われる細い尾根も見えた(写真⑫)。しかし風が強く、早々に退散する。少し下ると、すぐに「ゴロタ平」の標識あり。両側が崖になっている狭い尾根伝いを進む。途中、大きな岩が割れたようなところを通過する(写真⑬)。「ゴロタ平」は休憩するには良いところ(写真⑭)だが、標高は「金毘羅の景」より低いため、眺望はやや劣る。休憩して腹ごしらえする。「葛原展望所」はやはり狭い岩だらけの尾根道(写真⑮)。途中、一対の石仏に出会う(写真⑯)。K-2コースの文殊仙寺方面と「三十仏」方面の分岐点で「三十仏」方面に下る。「牛獄の景」にも立ち寄るが、今までのところと比べると見劣りがして、すぐに引き返す。下る途中、地図に「ハンカイ草群生地」の書き込みあり、それらしき?道端のあちこちに群生している若草を写真に収める(写真⑰)。ハンカイ草は6-8月に黄色の花をつける1mほどの植物とのこと。K-2を初夏に訪れた方の写真をみると、この時期ならこんなものかなとも思う。あまりに小さくて何を撮ったのか分からず、恐縮です。
「三十仏」は標識がなければ、見落とされそうな少し入り込んだところにある。下から見上げると苔むした見事な石段が続いている(写真⑱)。数えてみると125段あった。途中2ヶ所に作られた(あるいは改修された?)と思われる年号(下が天保、登り詰めたところが宝暦)の書き込みのある石柱あり。石段の上にはお堂があり、中に仏像が沢山ある(30?)(写真⑲-1、⑲-2)。少し下ったところが「三十仏」の入り口で、立派な一対の仁王像と石の鳥居があった(写真⑳)。
ここを過ぎると山口池(国東半島で一番大きいため池とのこと)の周囲をめぐる。池の奥、向かって右が千燈岳、左が文珠山(写真㉑)。終点近くで、芳香がするので見上げると青空に梅の花が(写真㉒)。到着は午後2時過ぎ、8.4Km、約5時間の行程となった。「ガイデ橋」は年期の入った石橋だった(写真㉓)。近くではすでに“オオイヌノフグリ”が青い星のように輝いていた(写真㉔)。

写真① 岩戸の滝
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写真② 宇都宮氏家臣鬼木氏古戦場
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写真③ “渓泉”に解説が貼られている葛原古城の説明文
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写真④ 観音摩崖仏
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写真⑤ 岩戸耶馬
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写真⑥ 第1トンネル
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写真⑦ 石造りの井戸
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写真⑧ 仁王像と石門のある墓
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写真⑨ 金毘羅の景
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写真⑩ 金毘羅の景からの眺め:周防灘に浮かぶ姫島
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写真⑪-1、2 金毘羅の景からの眺め:無数の奇岩の列
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写真⑫ 金毘羅の景からの眺め
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写真⑬ 「ゴロタ平」への道
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写真⑭ ゴロタ平
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写真⑮ 葛原展望所への尾根道
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写真⑯ 一対の石仏に出会う
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写真⑰ ハンカイ草の苗?
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写真⑱ 三十仏の石段
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写真⑲-1、2 岩屋の中に作られたお堂と、その中の仏像
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写真⑳ 三十仏の石門と仁王像(説明文によると文政五年(1822年)造立)
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写真㉑ 山口池と千燈岳(右)、文珠山(左)
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写真㉒ 梅の花
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写真㉓ ガイデ橋
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写真㉔ オオイヌノフグリの花
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プロフィール

horitataiju

Author:horitataiju
大分県国東市にある堀田医院・悠々会です。
院長が国東の魅力を発信します。

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